转贴一个前辈关于中日关系用日语写的文章。至今为止是我看到的最为客观,抓住问题本质,有说服力的好文
转贴一个前辈关于中日关系用日语写的文章。
这是至今为止我看到的最为客观,并且抓住了问题本质,有说服力的好文章。
叹服的同时不敢独享,转贴给大家,希望能给广大有识之士作为一个参考。
注:因为是用日语写的,哪位侠士有时间如果能给翻译一下,不胜感激。
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今日9月18日、今後の日中関係について、中国メディアの取材に協力した。
取材を受けた二人の日本人有識者はいずも私が大変尊敬している方で、とてもいい勉強になった。
以下は私一個人の考えで、日中双方の一部の人に耳触りであることを承知の上、書かせて頂く。
いま、このような事態に至ったことは、決してどちらか一方だけ悪いのではなく、
日中双方が責任を負わなければならないのである。
しかも、その責任はリーダーシップの欠ける政治や煽るばかりのメディアにあると結論づける前に、
いまは両国のすべての国民が自省をしなければならない時期なのではないか。
大多数の中国人は尖閣諸島が中国の領土だと考えている、
大多数の日本人は尖閣諸島が日本の領土だと考えている、
両国政府の間、両国民の間に考えの相違がある。これは誰も否定できない事実である。
(どちらに理があるかはさておき、争議があるのに、争議がないというのは論外!)
さて、相違がある時はどうするか。なぜ相違が起きたか、それをどう解決するかを考えなければならない。
隣人同士の家の境界線について争議が起きた際、どうするか。
1.殺し合いで解決する。2.裁判所に行く。3.棚上げにする
現状は3.です。1.はできるものなら避けたい。2.は制度が完備してないので利用できない。だから、72年に両国の政治家が3.を選んだ。
しかし、3.は実は非常に不安定な状態で、以下二つの同時進行のシナリオが待っている。
3.(1)両家が少しずつ相手をよく理解し、仲良くなって、どちらかが譲る、あるいは共同利用する。
3.(2)両家が疑心暗鬼でだんだん仲悪くなって、1.までエスカレートする。
残念ながら、いまは3.(2)のほうが3.(1)より速く進んでいる。
エスカレートのもしもプロセス(以下バックデート順):
もしも中国政府がデモを暴力のないものにコントロールできたら、
もしも野田政権が国有化のタイミングをずらしたら、国有化の意味を中国の一般国民に丁寧に説明できたら、
もしも石原都知事が尖閣諸島を東京都で買おうとしなかったら、
もしも香港の活動家が尖閣諸島に上陸しなかったら、
もしも漁船の衝突事件がなかったら、もしも逮捕ではなく、追い出しただけなら、
もしも尖閣諸島の周辺で漁をする中国漁船が増えなかったら、
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もしも両国が棚上げと言いながら、国内法を弄らなかったら、
もしも島の上で建造物を作らなかったら、
もしも棚上げしないで、もしも国交正常化しなかったら、
実にこの尖閣問題は40年間かけて、少しずつ互いへの刺激し合いでエスカレートしてきていることは誰が見てもよくわかる。
そしてこれ以上エスカレートすればどうなるか、ちょっと考えれば誰もが心配してしまう。
じゃ、その責任はどこにあるのか?棚上げが目指した先は3.(1)なのに、なぜ3.(2)に向かってしまった?
隣人Cが力をつけてきたから、武力で解決してくるのではないか、と隣人Jが心配する。
隣人Jが棚上げと言いながら、実行支配を少しずつ強めているように、隣人Cに見える。
これが理由だ、これ以上でも、これ以下でもない。
3.(1)のプロセスも同時進行しているが、3.(2)のほうの速さに負けているのは、実に憂慮すべき事態である。
エスカレートのプロセスを見ると、必然性があって、処方箋がないように見えるが、
結局3.(1)のプロセスを速めて、3.(2)のプロセスを遅らせるしかない、両国民が努力するしかないのである。
民間交流を拡大し、敏感な問題も避けないで、正面から話し合う機会を増やしていく。これしかない。
ごく一部の人を除いて、話し合いで解決できる問題を戦争で白黒つけようと思う人がいないはず。
棚上げを続けるかどうか、72年当時は政治家たちの決断だったが、いまは両国民が考えなければならない、決めなければならない。
いまこそ、両国民が相手の意見に耳を傾けながら、話し合いの場を持ち、これからどうするかをしっかり考え、民意を示すべきときなのではないか。
両国において一部の人が政治的・経済的権益を獲得するために、怪しい動きをしていることにも、一般国民が目を光らせなければならない。
ちょっと歴史を見れば、ごく一部の人の陰謀によって始められた戦争はどれほどあるか、すぐわかる。
結論:領土問題の現状は維持すべきだが、相手に対する理解を深める努力は決して棚上げにしない!
9月18日は悲惨な歴史を繰り返さないための日であって、新たな惨劇を生むための日ではない!