3. 4. 4. 近代以降
明治時代に入り、1885年に当時の文部卿森有礼によって儒教的な道徳教育を規制する命令が出された。だが、元田永孚ら宮中の保守的な漢学者の影響によって教育勅語などに儒教の忠孝思想が取り入れられ、奨励された。かつての日本的儒教=朱子学は武士や一部の農民・町民など限られた範囲の道徳であったが、近代天皇制のもとでは国民全体に推奨された。一方、渋沢栄一のように「洗練された近代人」とされる人達の中でも社会貢献の重要性などにおいて、近代社会においてもなお儒教の道徳観が通用する部分もあることを唱えた者もいたが少数派に留まった。第二次世界大戦後、支配者に都合の良い前近代的な思想として批判を受け、影響力は弱まったが、現代でも『論語』の一節が引用されることは多く、日本人にとっては親しまれている存在である。
儒教を宗教として捉える研究者は少数派であるが、学術研究において儒教の本質を宗教としてとらえる道を開いたのは、山下龍二・加地伸行である[2]。、山下は天地鬼神や祖先への祭祀を儒教の中心に据え、加地は宗教を死を語るものと定義して祖先崇拝を儒教の本質としている。ただし、こうした儒教への解釈については池田秀三などから批判が寄せられている。